2006年06月27日
過去二週間で考えたこと、気づいたこと
6月24日に掲載しなかった、もう一つの徒然バックナンバーです。
2006年 5月 21日
国際問題徒然No.20
5月6日以来、東京でのJICA会議、大学授業、フィリピン訪問、川崎市の友人訪問、大学授業、NY時代のIT関係友人の久留米来訪と息つく間もなく過ごし、徒然執筆からご無沙汰してしまいました。
この間、徒然に書きたいことに幾つも出会いました。以下、考えたこと、気づいたことを徒然なるまま、思い出すままに、書き連ねます。
1. 未だ続くITの革新・発展。
ニューヨーク滞在時代に知り合ったIT関係の友人は、ポッド・キャストという新しいIT技術を利用する事業を始めた。ポッド・キャストは、日本ではポッド・キャスティングとも呼ばれ、簡単に言えば「音声ブログ」とのことである。ソニーのウォークマンを陳腐化させたアップルのiPODを思い浮かべればよい。インターネットにつながったパソコンで登録し、時間のある時に接続すれば、音楽だけでなく音声付のあらゆるプログラムが携帯端末(iPODのみならず、携帯電話、PSPなど)に流れ込んでくる。
私の友人は、そのシステムを利用して、ポッド・キャストされた大学授業などの教育プログラムを市場と繋ぐ仕事を大々的に行おうと、会社を設立し、この4月から事業を開始した。ポッド・キャストすること自体、それほどお金はかからない。問題は、ポッド・キャストして、どれだけ多くの人に見て、聞いて、使ってもらえるかである。そのような市場への売り込みのノウ・ハウを売るのが彼の仕事のようで、今はポッド・キャストをすでに始めた東大とその売り込みについて話を始めている。
この友人には、久留米大学や久留米工業大学の情報分野の先生方に会ってもらったり、街角キャンパス「六ツ門大学」の運営委員の皆さんに講演してもらったりした。私も聞いていて、色々なことに気づかされたが、その中の一つは、IT技術の意味を理解し、かつ自分に中身があれば、どんな地方にいようと、世界で必要とする人が探し出してくれると言うことである。探し出してもらえる中身、世界に発信できる中身をつくり、もつことが、久留米を全国に、或いは世界に輝かせることになる。
パソコンを使い始めてからこれまで、パソコンを使っているようで使われているような気がしてしようがなかったが、今回は少しだけこちらのほうから使ってやろうという気になった。
2. なぜ、日本人は第二次世界大戦中の原爆やじゅうたん爆撃の被害への賠償を訴えないのか?
20日、街角キャンパス「六ツ門大学」において「和解はできるか?日本とアジア」と言う題で講義を行った。私は、オランダにおいて実際に担当した旧蘭領東インドのオランダ人戦争被害者との和解へ向けての努力の例を引きながら、アジアとの国民レベルでの和解には、国家が成熟するなどの環境の変化が必要なこと、双方の立場を冷静に聴いたうえで事実に基づいた議論をすべきこと、などを話したつもりだった。しかし、講義に参加した皆さんの興味を引いたのは、オランダ人にしても、中国人、韓国人他アジア人にしても、自らの戦争被害に対して、日本の謝罪と個人賠償を求めている、ということであった。
私の説明を聞いた皆さんは、日本政府や外務省が、日本の謝罪と個人賠償を求めているオランダ人やアジア人の気持ちを和らげるために平和友好計画プログラムやアジア女性基金事業を行った、というが、原爆やじゅうたん爆撃で罪もない市民が殺されたのは日本も同じであり、どうして日本は同じようにアメリカに賠償を要求できないのか、というのである。
私の答えは、次のようなものである。
第一に、オランダにしろ、他のアジア諸国にしろ、国と国との賠償や謝罪の問題は法的に解決済みである。国交を回復し普通の関係に戻ったのは、解決したからである。だから、オランダ人についても国としての賠償は行わないことは説明しているし、オランダ政府は、日本に個人賠償を訴えている個々の国民に同情はしても、国が代わって日本への賠償請求を行うことはない。その点、アジア諸国の中にぶれる国もあるが、たとえ政府が個人賠償をせよと申し入れてきても、既に賠償の問題は国交回復や樹立の条約で解決済みであり、戦争被害者への個人賠償問題は、貴国内で解決してください、と日本側はいうだけの話である。
第二は、オランダ人やアジア人が日本の地方裁判所に個人賠償を訴えているように、日本人戦争被害者も米国の連邦地裁に訴えることは出来るはずである。たとえ敗戦国国民であろうと、じゅうたん爆撃や原爆の犠牲に一般市民がなることは、人道的に許されないはずである。だから訴えの利益があるとして、結果はどうあろうと提訴することはできるはずである。私たちが外務省でやろうとしていたのは、地裁への訴えを行う人たちの気持ちが和らぐことで、国民レベルでの日本に対する敵対心・警戒心を減少させ、逆に友好的な気分を増やし、以って将来の相手国との友好関係を確固たるものにしていくということであった。同じように、米国連邦地裁に原爆被害を訴え、核の使用と言うことに対し米国政府や国民の目を向けさせることに努力することも出来たかもしれない。
3. 経済協力について2題
(1) 政府が借金だらけの国がどうして経済援助なぞするのか?
フィリピン旅行でお世話になったマニラに住む日本人の方が、上記のように私に質問した。私は、政府は借金だらけでも、国が崩壊したわけでもなく、日本は今でも世界第二位の経済大国であり、日本が世界で尊敬され、頼られる国であり続けるためには、それ相応のODAは必要である、と答えた。もし、政府の借金が多く、国民のサービスを十分に供与できないのでODAをやめます、などと言えば、世界の貧困国は日本という国を見下げ、友好的な気持ちも無くしてしまうであろう。最終的には日本と日本人の安全の問題にも係ることになる。
これに対して、その方は、ODAの使い方がおかしいという。中国のように他の国に援助するような国には、援助すべきでないし、被援助国の発展に寄与しない援助をするのは金の無駄遣いである、という。それは全く正論である。その通りである。しかし、ここでよく覚えておきたいことは、世界の最貧国であっても困った国があれば援助するということである。アフガニスタンは、世界最貧国の一つであるが、インド洋東岸の津波災害のときは、支援部隊を派遣した。自分達が困ったときと助けてもらったからだという。また、モンゴルの首相が、関西・淡路大震災の際に、救援物資を飛行機に積み、関西空港まで届けたことがある。モンゴルも最貧国である。
なぜ、援助するのか。ベトナムに駐在していたときのJICAのハノイ駐在所長は、「50年後日本が助けてもらうために自分はせっせとベトナムに技術援助している。」と言った。この言葉は、援助の本質を突いている。援助するのは、日本がいざというときに助けてもらうためである。日本は軍事力では世界の平和に貢献しない国である。だったら、金と人とでそれを行うべきである。貧困は、平和と安定を揺るがすものである。金と人とでできることは沢山ある。
(2) 看護師が出稼ぎでいなくなり、医療空洞化が進むフィリピンから日本が看護師を受け入れるのは倫理的に問題か?
フィリピンでは、医療関係者が稼ぎの良い欧米・中東に出稼ぎに行き、医療の空洞化が起こっているそうである。日本は、政府間で交渉がまとまったがフィリピン側の政治的理由で署名の遅れている経済連携協定で、フィリピンから200人の看護師・社会福祉士を受け入れることになっているが、日本へフィリピンの看護師が来ることはフィリピンの医療空洞化を助長することになり、問題という人もいる。フィリピンの看護師が日本に来ることができるよう手助けすることも更にこの医療空洞化に拍車をかけるものであるともいう。
私は、以上の視点は、問題の本質を見誤っていると思う。
フィリピンで出稼ぎ者が多いのは、必要な雇用を生み出す産業がないからである。フィリピンにおいて出稼ぎは産業と位置づけられ、出稼ぎ収入の国内への送金は、国の経済を潤す大きな財源である。だから、出稼ぎは奨励されても抑制されることはない。フィリピンの医療空洞化を理由に看護師の受け入れを日本側から拒むことは、出稼ぎ政策を抑制し、国家経済の収入源を奪う非友好的行為と位置づけられるかもしれない。
もし、フィリピンの医療空洞化がそんなに心配なら、フィリピンの産業と雇用を強化する支援を行うべきである。わざわざ出稼ぎせずともすむ産業の発展に協力し、医者や看護師が暮らしていけるだけの給料を払える社会・経済になるよう手助けすべきなのである。
倫理的に批判したくないが、困っている隣人が欲しがっているものをあげないで、お行儀の悪さだけを批判するのは、お高くとまった独善者乃至偽善者である。
フィリピンへは同国における英語研修の状況の視察のために行ったが、フィリピン観光省が、外国人の英語研修をフィリピン観光の一環としてプロモートしていることを知った。よほど、このプロモーションに乗ることの方がフィリピン産業発展・医療空洞化阻止につながる。少しでも実践するのとただ放って置くのとどちらが、フィリピンのためになるのか?
(国際問題徒然No.20・了)
(仮称)九州筑紫21世紀国際問題研究会
宮原信孝
- by Miyahara
- at 23:59
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