2006年07月24日

国際問題徒然No.27(アフガニスタン:4年半たって、06年7月23日)

 ほぼ一ヶ月前、アフガニスタンの和平復興支援に深く関わったある方と現在の対アフガニスタン支援について話をする機会があった。その方が語った中で印象的だったのは、「昔は、strategic thinkingがあったのに...。」という嘆息にも似た言葉だった。そう、確かに私たちが対アフガニスタン和平復興支援を始めた時、日本には戦略的思考というものがあった。4年半たって、日本の対アフガニスタン支援には、戦略的思考などというものは見当たらないようだ。いやそもそも、日本の外交からすれば、今のアフガニスタン
についてそのようなものはいらなくなったのかもしれない。
 本当にそれでいいのか。タリバーン政権崩壊後4年半たった今、ここで立ち止まって省察してみたい。

1. 戦略的思考
 タリバーン後のアフガニスタン和平復興は、「同国を二度とテロリストの温床としない。」という国際社会、少なくとも主要国間の決意の下、始まった。この決意を実現するためには、20年以上争ってきたアフガン諸派間の政治的和解と政治体制構築を進めるだけでなく、同国国民が安全の欠如と貧困から抜け出すことのできる復興をもたらす必要がある。治安と安全保障、国民和解に基づく民主的政治体制構築、復興。この三つを同時に進めることが、テロリストの温床とならない国づくりを推し進める。
そのような認識に立って、日本は、自らがどのような分野で貢献していくかを考えた。勿論、その背後には、米国の同盟国として主要な国際問題に応分の貢献をすることが日米同盟関係を確認し、強固にするという考え方もあった。その結果、軍事力を必要とする治安・安全保障については米、英の主導に、政治的和解と政治体制構築については国連に任せるが、復興については日本が米国他の関心諸国とともに主導的に支援していくことにした。
 だから、2001年12月のアフガニスタン和平のためのボン会議を受ける形でアフガニスタン復興支援東京国際会議を日本が開催した。だから2年半5億ドルの支援を日本は発表し、その具体化のために私を含め多くの日本人をアフガニスタンに送った。その成果が、カブール・カンダハールの緊急復旧支援、緒方イニシアティブ、DDR(武装解除・除隊・市民社会への復帰)、幹線道路建設、2年間で200件以上の草の根無償プロジェクトづくり、アフガン政府事業への財政支援などとして生まれた。
 治安・安全保障と政治体制作りは補助的な、或いは財政的支援に留まるはずであったが、軍閥の解体がアフガニスタンに法の支配に基づく社会を作り出すという観点から、DDRには主導国として関わった。だから、第一回目(その時は二回目があるとは思わなかったが)のアフガニスタン「平和の定着」会議を開催し、軍事力を背景にしたものではない政治力で軍事に関わるDDRを推し進めた。
 復興についても、カブール以外では、タリバーンの本拠地であったカンダハールを中心に進めた。目に見える復興を進めることにより、タリバーンの支持者であったパシュトゥーン人を新しい政府の支持者としたかったからである。

2. アフガニスタンの現状
 2003年のイラク戦争後、外務本省の目はイラクの和平復興に注がれることになった。当然のことだ。国際社会全体として支援したアフガニスタンの和平復興と違い、イラク和平復興は、米国とその支持国が中心となって行わねばならない。日米同盟の確認・強化という立場からすれば、アフガニスタンの場合以上の貢献が求められる。政府もマスコミを中心とする一般日本社会もイラクへと外務省以上に目を向けた。
 それでも、私がアフガニスタンにいた2004年夏ごろまでは、外務本省の担当者達は、イラクへの支援のためアフガニスタンには資源をそう多く振り向けられない、と言いながらも、現地が遠慮がちに頼む必要な支援を検討し送ってくれた。
 しかし、今では、「燃え尽き症候群」という状況が起こっているそうである。つまり、奥田大使を始めとする現地スタッフが良い提案を行なっても、外務本省の地域課、経済協力局担当課と順を追って関係課に回していくうちに火が消えるようにそのような提案が埋もれていくというのである。
 アフガニスタンの和平・復興がうまくいっているのであれば、それでも全く構わない。しかし、現実は、中央では、新しい政府は出来たが、軍閥は議席と非合法の武装部隊を持ち新政府の権威は弱体のまま、地方では復興は進まず、タリバーンと政府・外国(米国中心の連合軍乃至NATO主導のISAF=国際治安支援部隊)合同軍との戦いが継続・激化している、という状況である。
 そして4年半の間に、治安・安全保障だけでなく、政治、復興と全ての分野が米国の強い影響下で進むようになってしまった。イラク戦争後、日本の支援規模の停滞、米国の支援の激増(それもあらゆる分野で)により、復興も政府も対タリバーン戦争も全て米国影響下にあるというイメージができることを恐れ、その危惧を本省に公式(公電)・非公式(口頭その他)に伝えたが、この状況は変わらず、米国支配のイメージだけは、着実に作られていった。

3. アフガニスタン和平復興について日本には戦略的思考はいらないのか?
 日本の支援は増えず、現地からの提案も消えてしまい、米国支配のイメージだけが生まれている中で、日本に何が出来るというのであろう。私が最も力を入れた地方開発は、カンダハール・ヘラート道路復旧事業が治安悪化のため完全にストップしたままであるのに見られるように、なくなったのも同然である。JICAは、カンダハールからの撤退に言及する際に、マザリシャリフ、バーミヤンの事業は進展し、ジャララバードの事業が始まると付言するが、それはどのような地方開発戦略に基づいているのであろうか。
治安が悪いところでは、支援は出来ない。治安が良いところで支援をする。というのは、戦略でもなんでもない。日本は支援をしていますという言い訳に過ぎない。
 米国が前面に出れば、アフガン国民に外国支配の疑念を起こす。だから、日本が復興支援の前面に出ることは良いことであった。だが、治安に対する対応が上記のようであれば、日本が復興の前面に出ることはもうあり得ない。
 米国は、治安維持の任務の責任を連合軍からNATO指揮下のISAFへと移そうとしている。米国にとっては重荷を降ろし、少しはアフガン国民の対米悪印象を少なくすることになるのかもしれない。だが、NATOこそ良い迷惑である。アフガン国民が米軍とNATO軍の区別をするはずもない。連合軍は完全に撤退するわけでもないのであるから、NATO軍は連合軍、つまり米軍司令官と連携・協力しなければならない。区別が更にしにくくなる。旧ユーゴスラビアで実績を上げてきたNATO軍であるが、展開したからと言って治安が急激に改善するとは思えない。
 非合法武装部隊を解体させることに力を入れることを内外に宣言し、実行に移すため第二回「平和の定着」会議は開催された。DDRを主導した日本がこれを旗振ることは良いことだが、実効の点では心配である。軍閥を押さえ、配下の非合法武装部隊を解散させる工夫と政治的働きかけをどのようにして行なうのであろうか。

 以上のように見てくると、日本の支援は、財政上・治安上出来る範囲の復興支援と非合法武装部隊解体への財政支援のみということになる。だが、治安の悪化が続けば、そのような支援も更に縮小するであろう。そうなると、米国よりの軍事部門への支援要請が強くなっていく可能性も出てくる。PRT(軍民合同の地方復興チーム)参加や自衛隊による後方支援強化である。そのような状況下の軍事部門支援は反対であるが、日本が受身の支援策をとっていく限り、この立場に追い込まれていく可能性は無くならない。
 日本は、アフガニスタンの治安改善と復興の進展に日本独自の形で貢献する方向で、戦略的思考をめぐらす必要がある。日本独自とは軍事力を使わず、資金と人と知恵を使った支援の形態である。アフガニスタンを安定化していく鍵は、政府の権威の地方浸透とパキスタン内のタリバーン支援の削減である。その鍵をどのように日本が支援戦略に組み込めるか。それこそ、戦略的思考をめぐらす鍵であろう。
(国際問題徒然No.27・了)
(仮称)九州筑紫21世紀国際問題研究会
宮原信孝

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