2007年02月12日
後藤田元官房長官
当時「かみそり」と呼ばれ、中曽根総理を支え、政府・行政組織をしっかりと抑えていた後藤田官房長官は、アブダビで二等書記官として勤務し始めたばかりの私にはただ遠い存在だった。しかし、イラン・イラク戦争のためペルシャ湾岸からの石油タンカー輸送が脅かされ、タンカーの安全航行とそれへの日本の貢献が検討された時、後藤田長官の考え方と影響力を垣間見た。そして、数年後私が、中近東第一課首席事務官として、ゴラン高原への自衛隊PKO派遣案について、関係幹部とともに説明に回った後には、後藤田氏は真の「政治家」だった、という感を強く抱いた。
イラン・イラク戦争の末期、イラン、イラク双方とも相手の軍事資金の源である石油収入を断つために、石油基地、積出港、相手国港湾に出入りするタンカーなどを攻撃していた。特に、戦争末期になると、イラクを財政的に支援するアラブ湾岸諸国に出入りするタンカーが、国籍不明の(イラン革命防衛隊と言われていたが)ガンボートの攻撃を受け、大きな被害を出すようになっていた。また、イラン、イラクのどちらかが、或いは双方が流した浮遊機雷によるタンカーの被害も生じていた。日本籍、日本企業用船のタンカーも例外ではなく、被害を受け日本人死者さえ生まれていた。
そのような中、米国は、クウェイトへ入港するタンカーの船籍を米国に便宜置籍し、これらのタンカーを保護すると言う名目で、護衛艦隊をペルシャ湾内へ派遣した。また、欧州諸国もペルシャ湾内の航行安全の目的で、軍艦や掃海艇を派遣した。先進諸国の中で、エネルギーとして湾岸地域の石油に最も依存していたのは日本だった。日本としてペルシャ湾のタンカー他の安全航行のため貢献することが求められていた。
手に入る資料や書籍が述べるように、外務省を中心に政府は、掃海艇の派遣を本気で検討したようだ。実は、日本の掃海能力は極めて高い。朝鮮戦争において、日本の掃海艇が危険海域で優れた職人技と根性で掃海活動を行い、米国は高い評価を与えた。実際、アブダビの日本大使館にもアラブ首長国連邦の港湾調査の訓令が舞い込み調査の上報告した。
ところが、その後日本の貢献として発表されたのは、安全航行システムを無償で6つのアラブ湾岸諸国に提供することであった。
貢献の中身についての変更のなぞは、88年3月栗山外務審議官が出張途上アラブ首長国連邦のドバイに立ち寄ったときに判明した。フジャイラ港視察途上の車の中で同審議官は、掃海艇派遣は日本の目に見える貢献として理想的であったが、「掃海中に戦闘に巻き込まれない保証はあるのか?」という後藤田官房長官を論破できなかった、というのである(20年近く前の話で正確ではないかもしれないがおおよそこの通り)。確かに、ペルシャ湾では戦闘は進行中である。掃海を行うということは、自国のタンカーの航行安全と乗船する日本船員の生命を守るという国益に直結する話であるが、機雷を海に撒く側からすれば、それは利敵行為である。掃海を妨害する行動に出、日本の掃海艇が攻撃を受けるということにもなり得る。
しかし、私が19年たった今もこの話を心に残している訳は、外務省事務方だけでなく、中曽根総理を始め政治レベルでも、掃海艇派遣に傾いている中で、後藤田官房長官ひとり、整然とした理屈でもって頑として首を縦に振らない、それを政治レベルもよしとしていた、ということである。当時、イラク海軍はほとんど活動せず、アラブ湾岸諸国は自国に入港し石油を積載するタンカーと掃海を歓迎している一方、イランは、タンカー攻撃を自国船舶が行うということを公に認めることはなかった。また、近代的な欧米艦隊が狭いペルシャ湾の中を行き来していて、漁船に小銃とロケット砲を積んだだけのイラン革命防衛隊と思われるガンボートがこれら艦艇に正面から攻撃することは考えられなかった。更に、イランからも石油を購入していた日本に対して、たとえそれが掃海艇であろうと攻撃を仕掛けることは、同国自らの首を絞めることになるのは明白であった。従って、これらの理屈によって政治レベルを説得することは、まったく不可能ではないはずだ。議論だけでない後藤田官房長官の重みや迫力が、当時の中曽根内閣で尊重されていたとしか考えられない。
94年6月ごろ、外務省は、総理府とともに中東和平の進展への貢献のため自衛隊のゴラン高原へのPKO派遣の理解を求め、主だった政治家たちへ関係職員が手分けして説明に回っていた。私も局長級の幹部の陪席で何人かの政治家を回ったが、最も印象に残り、その時のことを今でも鮮明に覚えているのは、後藤田氏であった。
ゴラン高原での停戦監視は、その時まで(調べていないが多分これまでも)、73年以来イスラエルとシリアの間にあって一度も重大な停戦合意違反、両国間の戦闘、大きな事件などに出会ったことはなかった。一方で約20年間の停戦監視で国連PKOのあり方・部隊組織運営の典型が生まれていた。カンボジアに続く自衛隊PKO部隊派遣地としては理想的であった。
他の政治家たちは皆概ね賛同の意を示していてくれた。しかし、後藤田氏だけは違った。総理府幹部の説明を聞いた後、すぐに、「任務は物資の輸送と通信というが、物資はレバノンのベイルートからダマスカス経由で運ぶのであろう。その途中の道は、日本赤軍が潜むベッカー高原にも近い。日本の輸送車両が、攻撃されないという保障はあるのか。そんな保障はない。」と述べた。私は、総理府幹部を差し置いて無謀にも「レバノンは、シリアが押さえています。日本赤軍を保護するPFLP等もシリアの許可なしには行動できません。シリアは、ゴラン高原のPKO活動は尊重していますし、日本に対しても友好的な関係を示しています。ですから、日本赤軍の攻撃はありえません。」と応答した。すると後藤田氏は、「シリアを信用できるという証拠はどこにあるのか。自分の情報では、どこにもない。」と反撃する。私は、どうせ警察庁公安から得た情報であろうと思って、更に「シリアが全面的に信頼できるといっているのではありません。シリアのハーフェズ・アサド大統領は、自国の得にならないことはしないし、今は日本から利益を得ることが多く、その利益を得られなくなるような行為はやらないし、影響下にある団体にさせない、と言っているのです。」と言いつつ、日本が行ってきたODA支援の具体的事例とそれがシリアにとって重要な理由を挙げた。しかし、後藤田氏は頑として首を縦に振らず、最後に述べたのは、「この問題は今の政権にはやらせられない。」だった。(以上の議論、思い出すまま。)
当時は、羽田孜内閣で少数与党。確かに基盤は弱いが、PKO法は自民党が作った法律である。ゴラン高原のPKOの中身からすれば、賛成しなければ、どこにPKO部隊を派遣するために自民党はこの法律を作ったのか、と言うことになってしまう。
結局、ゴラン高原への自衛隊PKO部隊の派遣は、次の自社政権で実現した。私も参加した政治家への説明が結果を出す前に、羽田内閣は崩壊した。後藤田氏が私たちに最後に述べた一言がそのまま実現した形だ。私たちからすれば、派遣に向けてのこの回の努力は時間切れだった、というところだ。しかし、振り返って後藤田氏のこの一言とその背景をよく省察してみて、私は、「政治家が、ただ官僚の意見を中身が良いから賛同する、と言うのではなく、国民の間に議論がある問題を国民の負託を受けたと言う立場に立って考え、行動する、ということを示したものだ」と、考えるに至った。
それにしても、私のような青二才を相手によくまあ議論してくださったことか。感謝とともに合掌。
- by Miyahara
- at 13:55
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