2007年04月03日

48-22 > 22-10

 3月31日、今年卒業した学生の卒業パーティを自宅で開いた。私には、まだゼミ生はいないが、二人の卒業生については、私の授業をとって様様な相談を受け、一人は卒論作成にアドバイスを送り、もう一人は就職先を紹介したので、特別にお祝いをしたくなって、彼らの友人たちともども我が家に招待したわけだ。パーティは、自宅庭でのバーベキューで始まり、風が強くなって自宅に入って話をすることになった。今は、春休み中でもあり、私の子供たちのうち下の二人も一緒である。今年中学に入る愛也は、食べたいだけ食べてしまうとさっさと自分の部屋へ戻っていったが、恵里菜の方は、6人のお姉さん、お兄さんたちがいて楽しそうである。
 しかし、バーベキューが終わって家の中で話を始めると、恵里菜の様子が変わった。

 デザートを食べながら話をしていると、眠そうにしている。一旦席を立ち戻ってくると、私に断りもなく、「ねー、トランプしよう?!」と6人に向かって、トランプを見せながら、呼びかける。その気合と間合いはあまりにも自然で、学生たちも「何やるの?」などと聞いて、結局トランプをやることになってしまった。それから、一時間半、「大貧民」が延々と続く。私が家庭の都合を言って、やめさせなければ、しばらくは終わりそうにもなかった。
 学生たちが帰って、「お客さんの都合も考えずに、トランプに引き込んで」と恵里菜をなじると、恵里菜は、「だって、お父さんの話はつまんないし、みんな楽しんでたじゃん。」と答える。確かに、恵里菜にはつまらなかっただろう。また、学生たちも我を忘れて楽しんでいる風にも見えたのは、間違いない。
 学生たちは私の話をまじめに聞いてくれていたが、私も自分が一方的に話しているような気がして、違和感を覚えていたことも確かである。活発な言葉のやり取りにはなっていなかった。その点、トランプのときは、みな対等で、ゲームの中でのやり取りは活発だった。一方、私はトランプに対してはほぼ傍観者であって、トランプを心底楽しんでいたわけではなかった。
 そういえば、最近恵里菜の相手でよくトランプをするが、一度として昔のように熱中したことはない。人生のその瞬間、瞬間を生き生きと生きることをモットーにしてきたが、トランプしながら時間を気にする自分は、その瞬間、瞬間を生き生き生きていると言えるだろうか?
 ふと数式が浮かんだ。48-22 > 22-10。学生たちは大学で私に近いところにいると思ったが、実は、はじめて会った恵里なの方が近いところにいた。瞬間瞬間を熱中できる若さが羨ましい。
 そのことに気づいたとき、

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