2007年06月25日
障害者も商店街活性化の為に貢献している!
今日は、身体障害者で車椅子を使うEちゃんといい話ができた。
私は、社会福祉とは全くかけ離れた世界に住んできた人間であるが、アフガニスタンにいたとき、アフガン人が、障害者は社会の一員で復興に貢献するのだというのを聞き、全くその考えに同意し、そのような障害者の捉え方の下に、社会福祉の問題を考えるようになった。
Eちゃんとは、障害者は社会の一員で社会に貢献する、という私の考え方をまず述べて話し始めた。恵美ちゃんは、抽象的に言われても何の答えも出てこないので具体的に話して、というので、今商店街で行われているタウンモビリティについて意見を聞いてみた。
Eちゃんは、現在のタウンモビリティに不満である。せっかく商店街に来ていても、商店街の人たちは全く無関心だと言うのだ。また、タウンモビリティの日でなくてもEちゃんは商店街に出かけるのだが、「トイレに行きたいので手伝って」と商店街にあるプラザ事務局員に言うと、今日は人手がないからだめと言うそうだ。別に職員ができなくてもいいのだ。ちょっと、商店街の人、その場で手があいて余裕のある人が手伝ってもいいのだ。
そもそも、タウンモビリティは、高齢化が進む中で、お年寄りや障害者でも歩くことのできるまちづくりの一環として行っているのであろう。商店街側は、そのような人々をどう考えているのだろうか。彼らにとって障害者や高齢者は、ただ店の前を散歩している他人なのだろうか。
不思議に感じるのは、この商店街は、「ほとめき商店街」や「ほとめき通り」と銘打って、おもてなしの心を売り物にしていることだ。「おもてなしの心」というと私はすぐアラブ・ホスピタリティを思い出すが、アラブでは、よそ者が街角を歩いていて、目が合ったら、すぐに「こっちへおいで、お茶を飲もう」と言う。相手がだれであろうが、そこに差別はない。私は、そこに「おもてなし」を感じたものだ。もし、「ほとめき」が「おもてなし」という意味であれば、相手に差別はないのではないか。タウンモビリティでやってきた身障者も商店街と言うコミュニティに現れた客人と言うコミュニティ構成員ではないか。
Eちゃんは、私たちはタウンモビリティでまちに出ることによって商店街の活性化に貢献しているのに、とも言う。全くそうだ。商店街が活性化するということは、商店街の魅力にひきつけられてやってくる人の数が増えると言うことだ。高齢者や身障者が歩けるまちは、高齢化社会では魅力であろう。そこで単に歩けるだけでなくて、おもてなしを受ける。益々魅力が出て、人が増える。
Eちゃんたちは、その捨石になっているのだ。Eちゃんたちは、商店街と言うコミュニティの構成員となり、まちづくりに貢献している。これが、本当にコミュニティによって認められるようになれば、久留米もアフガニスタン並みに精神的発展ができたことになる。
- by Miyahara
- at 02:13
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