2008年03月10日

アブダビ、ドバイ、20年たって

3月4日から、ドバイに滞在している。今日は9日。昨晩、帰国する森光実紀雄三和システム株式会社社長を見送り、今は一人残ってホテルでこの原稿を書いている。
 私は、87年夏から2年間、在UAE日本大使館二等書記官としてアブダビで勤務した。当時、ドバイの総領事館はなく、ドバイ他北部首長国も管轄し、たびたびこれらの首長国に赴いた。また、21世紀になってからは、外務省中東第二課長時代は対UAE関係を管轄する責任者として、在アフガニスタン日本大使館次席時代は公用物資の調達・外交連絡物の引き取り・私的休暇、或いは帰国のための乗り継ぎなどで、幾度となくドバイ、アブダビには立ち寄っていて、20年前のアブダビ・ドバイ、ここ6、7年のアブダビ・ドバイともに見て分かっているつもりであった。
 しかし、今回、三和システムのUAE進出予備調査のため森光社長とともに出張してきてみると、その急激な変化についていけていない自分を発見した。
 以下、今回の出張で改めて気づいたアブダビ・ドバイの変化を書き出してみよう。

1.変化の規模とスピード
 ドバイの街は、日々変化している。それを身をもって理解したのは、レンタカーを運転していて道に迷った時だ。クリークの北側のデイラという旧市街から、南側のグランドハイヤット・ホテルに戻るのに1時間半もかかってしまった。グランドハイヤット・ホテルは、クリークにかかる4つの橋の内の1つ、ガルフード橋を降りてすぐ右側にある。昔から行きつけの橋なので、同橋を目指すが何度トライしても到達せず、違う方向へと導かれてしまうのだ。結局ビジネス湾橋というガルフード橋の更に内陸側にある橋を渡りクリーク南側に出て、ホテルへの道を更に苦労して探し帰りついたのだが、道路の付け替え、拡張、新しい橋の完成など、1年3ヶ月前運転した時のドバイ市内道の知識は何の役にもたたなかった。4つの橋といったが、私の頭の中にある橋は、アル・マクトゥーム橋とガルフード橋しかなかった。片側4車線も6車線もある巨大な橋がわずか数年のうちに作られていたのだ。
 今回は二日にわたってアブダビに行ったが、その往復で気づいたのが、アブダビとドバイを結ぶ大動脈シェイク・ザーイド道路沿いジュベリ・アリ自由貿易地区までの約40キロの間に3つの摩天楼群と道路沿いに建設中のメトロ(ドバイ市内交通システム)である。この6、7年、ドバイに来るたびに「昔は(今から20年前)、アブダビから車でくると貿易センタービルが見えてやっとドバイにやってきたと思っていました。その当時超高層ビルは同ビルしかありませんでしたから。」などと言っては、世界一の高層を目指して建築中のドバイタワーのある摩天楼群に驚嘆の声を上げていた。だが、今回1年ぶりにドバイに来てよく見ると3つの摩天楼群とメトロの高架線があったというわけだ。
 この変化の象徴が、エミレーツゴルフクラブである。同ゴルフ場では、1989年からPGAのツアー競技がデザート・クラシックとして毎年行われてきた。確かにドバイ・アブダビ間の道路沿いにあったが、オープンしたばかりの20年前周辺は全て砂漠(或いは土漠)だった。だから美しい緑の芝に覆われたこのゴルフ場は、砂漠の中のオアシスだった。それが今や三方がビル群に囲まれ、街の中のゴルフ場になっている。唯一東側だけオープンスペースになっているが、そこにもスポーツクラブや公園など、人工的に作られたものが存在し、砂漠は遠い先へと追いやられた。
2002年初めて、このゴルフ場でプレーしたときには、20年前のゴルフ場前の片道2車線道路がゴルフ場へ行く側道となり、その側道をはさんだ向こう側に片道4車線のシェイク・ザーイド道路が作られていた。その4車線の道路も、2003,4年ごろから片道6車線に拡張する工事が行われた。しかし、完成した今、混雑が解消されたかというとそうでもなく、益々車の数が増えたように思える。
先に述べた摩天楼は、ドバイタワーのみならずあちこちで建設中だ。今日9日の新聞によれば、ガルフード橋も一両日中に全ての車線が開通し、片道7車線になるとのこと。メトロ建設、道路の拡張、付け替えなどの工事も踏まえれば、世界の建設機械の4分の1はUAEに集まっている、という人づての話も誇張ではないと思われる。

2.事業に対するUAE人の姿勢の変化
今回の出張前、東京で行われたアブダビ産業シンポジウムに出席した。ここで驚いたのは、アブダビ政府が丸紅と組んで政府系商社をつくったということではなかった。アブダビからの出席者の姓とその姓をもつ人々がわざわざ日本まで来て投資を呼びかける、という姿勢に驚いた。
この政府系商社アブダビ・トレードハウス(ADTH)の会長でADBIC(Abu Dhabi Basic Industries Corporation)の副会長を務めるフセイン・アル・ヌウェイス氏が、ADTHの社長の栗原氏とともにキーノートスピーチを行い、自ら質問にも答える。その後の個別のプレゼンターたちの中には、大臣を出し、王族と姻戚関係を持つ家柄のアル・ザーヘリやアル・ダルマキの家名をもつ若者達がいた。アル・ヌウェイス家も19世紀イランから移住してきて以来ナヒヤーン首長家に仕える名族で、フセイン・アル・ヌウェイス氏は、私が19年前に書いた外務省資料の中でも若い王族を支えるヤングスターの一人として特筆していた。
20年前、UAE人が個人的旅行や招待でなく自分たちのイニシアティブで日本に出かけて貿易投資を働きかけるということは考えられなかった。それが今では、当たり前のことのようになっているようだ。
2006年マスダル構想が発表され、同構想を遂行するアブダビ未来エネルギー社のCEOスルタン・アル・ジェーベルは、構想の説明と参加の呼びかけのため日本にも赴いたと言う。
今回の出張で出会ったある日本商社の方も、この変化に符合するかのように、「UAE人も利ざやを儲けるだけのエージェントから、中身も分かり事業を行うパートナーに成長してきている。」と教えてくれた。
20年前、アブダビでは、世代交代が始まっていた。ザーイド大統領の子息たちがアブダビ政府の各省長官・次官職につき、それを欧米で勉強してきた、名族の子弟たちがそれを支える、という体制になろうとする様子が看取された。それまでは、大臣や長官の補佐役はパレスチナ人等他国のアラブ人が務めていた。
今、その体制が確固たるものになってきたように思える。そしてテクノクラートとして体制を支える部族出身者は、経済部門では商売のためなら遠方もいとわない姿勢で積極的に出歩いているのである。
事業に対する姿勢は変わったが、変わらないものもあった。友人や客人へのもてなしの気持ちである。先に述べたシンポジウムで出会った名族の一人ジャマル・アル・ザーヘリ氏をアブダビの事務所に訪ねた。同氏はADBICのアルミニウム担当の副社長で、三和システムが技術を持つ省エネ・CO2削減分野とは直接関係なかったにもかかわらず、これら分野についても説明しつつ関係部署を紹介してくれた。このような親切は大事にしなくてはならない。

3.事業を実施する外国人の構成の変化
 20年以上前、政府や政府系企業を動かすテクノクラートやジェネラル・マネジャーは、パレスチナ人、レバノン人、エジプト人などで占められていた。技術系のマネジャーにはインド人、パキスタン人も多かった。欧米人や日本人もごく一部顧問と言う形で職を得る人たちはいたが、重要な役を占めているとはいえなかったであろう。
 しかし、今この状況は完全に変化した。政府や政府系企業の基幹部署に優秀なUAE人(名家の出であればなお良い)を配置はするが、それ以外の部署は、優秀であれば国籍問わず雇用するという姿勢のようだ。欧米人が政府系企業の役職に就くのもありふれた光景に見える。アブダビ未来エネルギー社の持続的環境マネジャーは、英国人であった。
日本人がそのような役職に就いてもおかしくはない。ADTHというアブダビ政府系企業の社長が日本人で多くの日本人が働くというのもその一例であろう。
これが、一般企業になるともっとはっきりするように思える。先に引用した日本商社の方がおっしゃるように、UAE人側がパートナー化してきている。昔のままのエージェント・タイプでは、外国企業・外国人は相手にしなくなる。逆に言えば、ドバイ、アブダビで事業を行う外国企業・外国人は、事業の中身の分かるUAE人のパートナーとして自らの力を最大限自由に発揮して事業を進めることができることになる。こうして、腕に自慢の外国企業・外国人が活況を呈するUAE市場に競ってやってくる、というわけだ。

4.変化する日本としない日本 
前述の日本商社の方は、「モノを売ることには興味がなくなり、事業に参入することを狙っている。」とも述べていた。ここに日本企業の変化を見る。
20年前、UAEと日本の経済関係は、石油やガスを買って、大きなものではプラントを売り(建設し)、小さなものでは家電・自動車を売る、というものであった。それが、事業に参入するという。事業に参入するということは、UAEの国づくり、経済発展に企画から参加するということであろう。
UAEには資本がある。この資本により、労働力は買える。技術も買えるには買えるが、一夕のうちに自分のものにすることはできない。そこにUAE側がパートナーを求める余地が生まれる。先の商社の方の言は、その余地を知って積極的に入っていこうではないか、と言っているに等しい。これは変化する日本だ。
これに対して、変化しない日本もある。在UAE日本大使館のある書記官が言った。「マスダル構想には、日本の多くの企業・協会が興味を持ち、アブダビにやってきては責任者のスルタン・アル・ジェーベルCEOなどの幹部に会いたがるが、会っても中身のない話をする場合が多く、もう日本からの客には会わない、と言われている。」日本側は、重要そうだからとりあえず挨拶しておこうということだろうが、忙しいCEOにとっては会うことによって得るものがなければ無駄以外のなにものでもない。
また同じ書記官は、「同CEOが構想発表後訪日した際、訪問面談を申し入れた企業の半分が断った。」とも言う。日本側では、産油国と環境や代替エネルギーが結びつかなかったのかもしれない。しかし、20年前も同じようなことがあった。ドバイがジュベル・アリにフリーゾーンを設けて進出企業を日本に呼びかけてもなかなかすぐには進展しなかった。双方に共通することは、ドバイにしろ、アブダビにしろ、遠い国、石油の国という理解にとどめて、両首長国の潜在性・事業の実行可能性などを十分に研究していなかったことである。
ドバイ、アブダビは、外観なかりでなく中身も変化してきている。そこに商機があるのなら、日本側もその変化を研究してしっかりと対応すべきなのではないであろうか。

trackbacks

trackbackURL:

comments

comment form

(宮原信孝ブログサイト(Miyahara, Nobutaka's Blog) にはじめてコメントされる場合、不適切なコメントを防止するため、掲載前に管理者が内容を確認しています。適切なコメントと判断した場合コメントは直ちに表示されますので、再度コメントを投稿する必要はありません。)

comment form